横山光輝 三国志 9 曹操の台頭
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イナゴの災害により、戦どころではなくなった曹操、黄巾賊が占領してる汝南を奪い時期を待つ。
典韋や許褚と曹操軍の豪傑が登場する。
一方、劉備は陶謙の病死により請われて徐州の太守となる。
ここで多少話が落ち着いてもよいと思うのだが、歴史は動いていく。
そして八方塞がりになった呂布は玄徳を頼る。
それに反対する張飛の態度がやはりおもしろい。
悪役 李傕と郭汜
そこから逃亡する帝
そして廃墟の洛陽にたどり着き、曹操を頼る。
帝を擁せるというのはどうにもこうにも今後曹操にとって有利に働いていくだろう!
キーワード 曹操
三国志 4 乱世の奸雄 参照
https://satoimogunsoblog.com/sangokushi4/92/ピックアップ人物伝 許褚
曹操軍の張飛盤といったら語弊があるが、ゲームを例に出すと、能力がにてるせいか、そう思ってしまいます。
武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | |
張飛 | 98 | 30 | 22 | 45 |
許褚 | 96 | 36 | 20 | 59 |
許褚の性格は慎み深く、誠実かつ重厚で無口だった。
また力が虎のようであるものの、痴(頭の回転が鈍い)であったため、「虎痴」と呼ばれていた。それでもって天下の称賛を浴びることになったため、虎痴が彼の本当の名前だと思われるようになったという(両語の発音が近いため)。馬超は許褚を「虎侯」と呼んだとある。
wikiを見る限り許褚という男は演義においても正史においても、忠義ある武者であるのがわかる。
横山三国志では張飛と同様にスリムに描かれているが、実際は巨漢だったようである。
トピック 許昌
後漢末の196年、曹操が献帝を奉じてここに雒陽(洛陽)・長安から都を遷したことで有名。遷都の理由は雒陽が戦乱で荒廃していたのと、この地域が曹操の勢力圏だったからと考えられる。
元は「許」県であり(許都)、魏王朝建国後の黄初2年「魏は許をもって益々昌(さか)える」という予言に従って、許昌に改名された。 献帝在位中は一貫して「許」であったため、後漢、魏を通じて「許昌」が首都となった事は一度も無い。
献帝が廃されて魏が建国されると都は洛陽とされるが、魏の五都の一つとされ、依然として重要な都市であった。 許昌には献帝の皇后伏寿(伏完の娘)の陵墓や後漢末の都市遺跡があり、歴史学上も重要な都市である。
許昌市wikiより
このwikiをみるかぎり、歴史に主だって登場するのはこの後漢の曹操が君臨していたときだけのようだ。
他の時代にはほぼふれていない。
まとめ
まだまだ長安には李傕、郭汜。汝南には袁術。曹操の上には袁紹に公孫瓚。そしてなにより嵐を呼ぶ呂布がいる。
史実としての魅力と物語としての魅力のバランスがこうして読み返してみて興味深い。
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