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横山光輝 三国志 江東の波乱 7

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横山光輝 三国志 江東の波乱 7

目次

概要

劉備と趙雲 劉備、平原の太守に 孫堅対劉表  王允と貂蟬

孫堅の息子、孫策も参加した戦
水軍を使っての戦
この当時の船を使った戦はどういうものだったのだろうか

一方、董卓の恐怖政治の土台は着々と進んで長安郊外に郿う城という城をつくらせたとある。
※これに関してはなにも情報が出ませんでした。

ここでは20年の食糧
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天下の宝の山を集めた

とある

そして王允の陰謀がはじまる。

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キーワード
袁氏 袁紹 袁術

歴史
袁姓の人間が歴史上で数多く活躍し始めるのは前漢の頃からである。右扶風安陵の人袁盎は直言で名を馳せ、後に起きた呉楚七国の乱の鎮圧に一役買った。漢代には陳郡の隣の汝南郡を本拠地とし、陳郡袁氏の同族を称する汝南袁氏が台頭した。汝南袁氏は中央政界の名門として4世代で5人の三公を輩出したが、後漢末の動乱で一族の高官が次々に非業の死を遂げ、更に地方で群雄として台頭していた袁紹、袁術が相次いで没落するに及んで歴史の表舞台から姿を消した(但し、袁術の子孫は孫権に仕えた)。一方の陳郡袁氏は陽夏、扶楽など複数の家系に分かれて有力な貴族家門として着実に成長し、六朝時代から唐末の9世紀頃まで名門貴族として繁栄した。

袁氏wikiより

袁紹の前半生

名門の実力者
後漢時代に4代にわたって三公を輩出した名門汝南袁氏の出身で、袁逢・袁隗の次の世代の人物にあたる。

袁紹wikiより

袁紹の前半生ははっきりしないが、一説(『三国志』魏志「袁紹伝」が引く『英雄記』)によれば、生まれて間もなく父の袁成と死別し、叔父の袁逢と袁隗に育てられたという。幼少にして郎に取り立てられ、20歳で濮陽の県令に任命されると清廉との評判を得た。母が亡くなると3年の喪に服し、喪が明けるとさらに父の喪にも服し、孝を尽くした。6年間の服葬の後、洛陽に隠れ住んだ。むやみに人と会わず、名声の高い人物とのみ交際したという。

袁紹は威厳がある風貌をしており、また快活な性格で名門出身にも係わらず謙虚でもあったため、曹操ら大勢の人々から慕われたという。一説(『三国志』魏志「袁紹伝」が引く『英雄記』)には遊侠を好み、張邈(孟卓)・何顒(伯求)・許攸(子遠)・伍孚(徳瑜)・呉巨(子卿)らの名士と「奔走の友」としての交わりを結んだ。朝廷からの招聘には応じなかった。

同世代の袁氏有力者として袁術がいた。宗族の長は袁紹と袁術のいずれか[1]と目されており、都にいた地方の豪族子弟はこぞって両家に赴いたが、何顒や許攸らは袁術のもとには赴かなかったという。このため、袁氏の正嫡であると自負していた袁術に憎まれ、後に対立する一因となった。

当時、朝廷の政治を壟断していた宦官の趙忠らは、袁紹の行動を不審に思い危険視していた。そのことを聞いた叔父の袁隗は、一族を滅ぼすつもりかと袁紹を叱ったという(『三国志』魏志「袁紹伝」が引く『英雄記』)。そのため、何進の掾(属官)に召されるとようやく官途に就くことにした。間もなく侍御史・虎賁中郎将と累進し、188年には中軍校尉(西園八校尉の一つ)も兼ねた。

袁紹wikiより

ここにもイケメン武将発見!こういうところを見てコーエー(ゲーム)の袁紹もイケメンなのだろうか?詳しくは画像検索してください!
続いて袁術前半生

御曹司から諸侯へ
青年期は侠人として知られ、仲間達と放蕩な生活を行っていたが、後に改心した。同族の袁紹が自身より声望が高いことを妬み、袁紹の出自の低さをたびたび持ち出して中傷、さらに袁紹と交際する何顒らを憎悪した。

孝廉に推挙され郎中に就任、官は河南尹から折衝校尉、虎賁中郎将に至った。

中平6年(189年)の霊帝崩御後、大将軍の何進による宦官皆殺し計画に袁紹や曹操と共に参加。何進が十常侍により暗殺されると、袁隗や袁紹と共に宮中に乱入し、宦官数千名を誅殺した。

董卓の入京後に後将軍へ任じられた。当初は袁隗・袁基ら袁家一門と共に董卓政権に参加していたため、曹操が洛陽から逃亡した後、曹操の夫人卞氏に曹操の情報を伝えに行ったりしている。後に害が及ぶのを怖れて荊州の南陽へ逃れた。ちょうど反董卓のために挙兵し北上してきた長沙太守の孫堅が南陽太守の張咨を殺害していたところであったため、袁術はその後任として南陽郡を支配し、孫堅を影響下においた[2]。孫堅を豫州刺史に任じ、董卓を攻撃させ、初平2年(191年)には董卓の軍を破り(陽人の戦い)、4月に洛陽を占領する戦果を挙げた(『三国志』呉志「孫破虜討逆伝」)。南陽郡は人口が多く豊かであったが、袁術が奢侈な生活を追求し、過酷な徴税を行ったために民衆は苦しんだという。

袁術wikiより

ついでにコーエー(ゲーム)の袁術は袁紹とは似てもなく、酔っ払ってるような顔をしている。
つまるところ劉備とはまるで真逆のスタートライン、貴族から成り上がっているという解釈だが、この後の劉備の跡を追っていくと、なんとか生きて我慢をする(たまに張飛が爆発するが)、たとえ関羽や張飛といった豪傑がいようとも耐えるべきは耐え、恩や義を重んじることによって何もないところから信頼を勝ち得てきているのがうかがえる。

ピックアップ人物伝 孫堅

三国志の英雄の1人といってもよいと思う孫堅をみる。

清代の『四庫全書』の記載によると、孫堅は春秋時代の兵家の孫武の子孫と伝えられているが、彼の父を初めとして、どのような家柄の生まれであったかは不明である。

孫堅wikiより

大概そんなものである。

各地で反乱鎮圧 編集
司馬(軍事を司る職)になった孫堅は、172年に会稽郡で起こった許昌の乱を鎮圧した[3]。この乱の鎮圧後、孫堅はその功績により揚州刺史の臧旻によって上奏され、塩瀆県丞に任命される。数年後、盱眙県丞や後の下邳県丞に転任した。

光和7年(184年)、太平道の張角によって勃発した宗教的な反乱である黄巾の乱の鎮圧のため、孫堅は漢王朝の中郎将であった朱儁の下で参戦、家族を九江の郡治寿春県に残した。黄巾の渠帥波才撃破に一役買っている。朱儁が汝南・潁川と転戦すると、孫堅もそれに従い軍功をあげていった。宛城の攻略においては、孫堅自ら先頭に立って城壁を登り、西南方面の官軍の指揮を執り大勝利を収めている[4]。この功績により、別部司馬となった。

中平3年(186年)、昇進すると同時に、涼州で辺章と韓遂が起こした反乱の鎮圧に向かう。当初、反乱鎮圧には中郎将の董卓があたっていたが、情勢は芳しくなかった。そこで董卓に代わり、司空の張温が指揮を執り、孫堅はその参軍として従軍した。董卓の度々の軍規違反に立腹した孫堅は、董卓を処刑するように張温に進言するが、涼州での行動に際して董卓の力が必要と見ていた張温に退けられている。後日、董卓はこの事をいずこからか漏れ聞いて、張温と孫堅を深く憎むようになった。

後漢の討伐軍の大軍が来ると聞いた辺章・韓遂軍は、恐れをなして散りぢりになり、辺章と韓遂は降伏し、孫堅は議郎となった。

孫堅は荊州南部で起こった区星の反乱鎮圧の命を受け、長沙に太守として赴任して、様々な計略を用いて、この反乱を鎮圧した。区星の反乱を援助していた零陵や桂陽の二郡にも進出して、反乱を鎮圧した[5]。この時、廬江太守陸康の従子は宜春長であり、賊に攻められて孫堅に遣使して救援を求めた。孫堅が兵を整えて救援しようとしたところ、主簿が進みでて諫めた。孫堅は 「太守には文徳が無く、征伐を功としてきた。郡界を越えて攻討し、異国を全うするのだ。これによって罪を獲たとて、どうして海内に媿(は)じようか?」と答え、かくして兵を進めて往って救い、賊はこれを聞くと退走した[6]。この功績により孫堅は烏程侯に封じられた。

このように、各地で人材を手に入れ、転戦して実戦経験も十分に積んだ孫堅の軍団は、やがて軍閥化した[7]。

孫堅wikiより

引用なので詳しくはwikiをみてほしいが一応、正史での孫堅の董卓追悼軍に参戦するまでの軍功である。

ここだけでも英雄というにふさわしい活躍である。
のちの話になるが、ここに韓遂が登場しているが、横山三国志では、馬超の活躍のところまで登場はおあずけとなっている。

まとめ

本来はトピックを設けていて、孫堅の治めている長沙についていれようとしましたが、有益な情報がなかったため、まとめとなりました。

今回、個人的にではありますが、横山光輝三国志を読んで思ったことなんですが、

おもしろい!

孔明が出てきてからがわかりやすくて、また戦う相手がはっきりしていて面白かった印象なんですが、あらためて読んでみると、階級や野望や因縁が入り乱れていて、その辺の事情がわかってくるととてつもなくおもしろいです!

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この記事を書いた人

東京都下在住のフリーランス。アコギ初心者練習に余念のない元ベーシストバンドマン。ピアノの音すき。つまりは音楽が好きです。
本業の仕事では、ほぼ毎日運転しつつも十年以上無事故無違反のガチゴールド安全運転者。
禁煙歴2年になります。
当ブログの『さいともブログ』ではイヤホンを中心としたガジェット、はたまた横山光輝「三国志」についてのブログとなっております。

ahamo

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