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三国志 横山光輝 34 落鳳坡の衝撃 【蜀の人材を探る!】

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横山光輝 三国志 34 落鳳坡の衝撃 

目次

はじめに

さいともくん

本の内容については漫画を読めばいいと思うので、ここでの記事は補足となる、人物や物事を取り上げて漫画を少しでも楽しく読めるようにするのが本記事の目的とします!
よろしくお願いします!

こーめーくん

よろしくお願いします!

せんにーん

前回の記事はこちら!

あらすじ

張松が劉備と通じてることが兄にばれて張松は斬首になる。
これによって劉璋、張魯、劉備のプチ三国志状態になり、劉備が孔明を大切にするのをみた龐統は孔明に嫉妬し、功を焦り流れ矢に当たって戦死する。
そして関羽を残し孔明たちは蜀へ
張飛と厳顔の戦い

キーワード 功を焦った龐統の最後

コーエーテクモゲームス 三国無双8

横山三国志においては龐統は劉備が溺愛する孔明に嫉妬を抱いている。
その焦りもあり、流れ矢に当たって亡くなる。

タラレバの話はナンセンスだが龐統が生きていれば、荊州は守れた!
この地(荊州)に軍師は必要だった。この痛手は劉備軍にとって大きすぎる。

しかしながらせっかくなのでタラレバを楽しみたい。

ここで龐統とともに劉備が蜀を奪り、漢中を奪って、内政を安定させれば、一気に蜀は大国になる。
そして誰もが思う、荊州の守りとなるが、ここは孔明が睨みを効かせれば、たとえどんな陰謀でも関羽のようにはならなかった。
それか時に横暴でプライドが高くなる関羽でも、孔明なり龐統なりの軍師としての指示下におかれれば史実ほどの戦力ダウンにはならなかった。荊州を押さえつつ、呉と建前だけでも仲良くしなければならないという劉備勢力にとっての絶対的な戦略ができなかったのは、その後の蜀を苦しめる。

こーめーくん

龐統に関するピックアップ人物伝はこちら!☟

ピックアップ人物伝 法正

コーエーテクモゲームス 三國志14

wikiでの生涯をみてみると、劉備が入蜀して漢中を獲り、その後220年に亡くなる。 
活躍はもちろんなのだが、早い死でもっと孔明とともに劉備亡き後の蜀を支えていたのかと思っていました。

まず劉備入蜀における手助けをして、蜀の実情、政治、はたまた漢中を奪う戦術にも長けており多大なる功績を挙げている。

しかしながら側面として

法正は蜀郡太守に着任すると、僅かな恨みにも必ず報復し、自分を非難した者数人を勝手に殺害した。このため、ある人が諸葛亮にそれを告げると、諸葛亮は「わが君の今があるのは法正のお蔭である。その功績を考えると処罰することはできない」と咎めなかったという。

法正wikiより
さいともくん

龐統と法正、もっと長く生きていれば孔明の負担も軽かっただろうに!

せんにーん

まったくじゃ!

トピック 彭羕(ほうよう)などの蜀の人材

おそらくピックアップ人物伝では扱わないであろう、蜀の人材を『三國志11』の画像とともに何人かピックアップする。

彭羕

くしくも『三國志11』のゲームには登場してなく、武将紹介が引用に頼る。

彭羕は思い上がり傲慢に振舞った。諸葛亮が劉備に「彭羕は野心が大きいので、大人しく仕えさせておくのは難しいでしょう」と内密に進言したため、劉備は行状を観察した上で次第に疎んずるようになり、江陽太守として左遷した。

この左遷への不満から、「あの老革[1](おいぼれ、老兵の意で劉備を指す)は耄碌して話にならない」「卿(馬超)が外(軍事)を、我が内(内政)を握るなら、天下に不足はないのだが…」と劉備への謀反とも取れる誹謗を馬超に漏らした。馬超がこのことを即刻上奏すると、彭羕は逮捕されて係の役人に引き渡された。

彭羕は獄中より諸葛亮に手紙を送り、主君の我が子に与えられるような厚い恩愛(分子之厚)を賜りながら、慈父を裏切ったからには罪は百度の死に相当すると認めつつ、馬超に漏らした言葉については弁明している。 その後、処刑された。享年37。

彭羕wikiより

厳顔

黄忠とともに老将として戦い、印象が強い武将だが、正史としては、記述が少ないようだ。

翌年、劉備が益州を奪い取ろうと攻めて来た時にも巴郡を守っていたが、劉備軍の張飛の攻撃に遭って捕らえられた。捕虜になったのだから自分に跪けと言う張飛に対し、「お前達は無礼にも、我が州を侵略した。我が州に断頭将軍 (首を刎ねられる将軍)はいても、降伏する将軍はいない。早く首を斬れ」と堂々と言い放った。張飛は腹を立てたが、厳顔はさらに「匹夫め、さっさと斬れ。怒るだけ無駄だ」と言い放った。この事で張飛は感嘆し、厳顔の縄を自ら解き、厚く持て成したといわれている。このため厳顔も降伏し、以後は劉備の家臣となった。

厳顔wikiより

正史において厳顔の記述は少なく、生没年も不詳で、『三国志演義』で描かれるような老将という表現も無いただ、張飛に言い放った言葉だけは明確に記述されている。この言葉が厳顔の存在を際立たせていると言える。

【義】を学ぶ上でとてつもなくかっこいい話で痛快ですらあるこの話だけのようだが、張飛をわからせた厳顔がカッコ良すぎる。

さいともくん

この一事だけで厳顔の存在意義を感じる!
かっこよすぎる!
男の中の男!

せんにーん

わしもこんなかっこよい男になりたいもんじゃ!!

呉懿

蜀において重要な人物のひとりという認識だが、wikiをみてもあまり記述が少ない。

212年、劉備が劉璋を攻撃すると防御にあたったが、防ぐことができずに降伏した。劉備は益州を平定すると彼を護軍・討逆将軍に任じた。

228年、街亭の戦いで諸葛亮が馬謖を用いようとしたが、諸将は実戦経験豊富な呉懿や魏延を推挙したという。だが諸葛亮は聴き容れず、馬謖を任用して大敗を喫した。230年、魏延と共に羌中に進出し、魏の費曜を撃破して高陽郷侯に封じられた。234年の諸葛亮の死後、車騎将軍となって漢中を守った。王平が副将として、呉懿を支えたという。

237年に死去した。子は早世していたために、孫が跡を継いだという。

呉懿は博愛の人物として知られ、戦功もあり、何より皇帝の外戚という重要人物でありながら、正史に彼個人の伝が立てられていない。

呉懿wikiより

雷同

雷銅とも呼ばれるらしい
演義では劉璋配下として登場。しかし正史には記述なし。
劉備の漢中進軍に進攻したが、曹洪、曹休に敗北し戦死している。

呉蘭

こちらも雷同と同様で劉璋の配下だった記述はなし。
戦死したのも雷同と同様なのか不明。
しかし、下弁に張飛、雷同とともに駐屯している。

李厳

蜀を語る上でももっとも重要な人物のひとり
武力系の人物と思いきや、県令や守備隊もこなす、将軍タイプのようだ。

最初は劉表に仕え、208年の曹操の南下により、益州へ逃れ、劉璋に仕える。
なぜ逃れたかは不明。
213年に劉備と対峙するが、説得により劉備に降る。
その後、反乱などを平定し、功績を上げてゆく。
劉備の死後、孔明へ王を称すよう勧めるが、断られる。
226年、孔明の北伐に伴い、李厳は後方で江州に駐屯。
そして

このころ、李厳は魏に投降していた孟達へ手紙を送り、「諸葛亮とともに劉備から遺詔を受けたことへの責任を痛感している」と、胸の内を語った上で「良き協力者を得たい」と述べている。諸葛亮も孟達に手紙を送り、李厳の仕事ぶりを賞賛している。

李厳wikiより

230年、曹真の漢中侵攻により漢中に駐屯。撃退後、李厳は漢中に留まり政務を仕切る任務につく。

231年 孔明により再び北伐を行うが、ここで李厳は輸送を失敗して、その失敗を免れるために劉禅に嘘を上奏する。
この一連の事件により、李厳は庶民へ降格失脚する。

諸葛亮は李厳の地位を剥奪したが、子の李豊には罪を問わず、手紙を送って父の汚名を返上すべく職務に励むよう諭している。李厳は失脚後、諸葛亮ならばいずれ自分を復帰させてくれると期待していた。しかし234年、諸葛亮の死を聞いて、自分が復職することはもはやあるまいと嘆き、まもなく発病して死去した。

李厳wikiより

費観

こちらも彭羕同様『三國志11』のゲームの登場はなし!

陳寿が『三国志』を編纂した頃には史料が失われていたため立伝されていないが、楊戯が記した『季漢輔臣賛』には記録がある。

はじめ劉璋に仕えていた。213年、費観は李厳の配下として綿竹で劉備軍を防いだが、最終的に李厳とともに劉備に降伏した。益州を平定した劉備は費観を裨将軍に任命し、後に巴郡太守・江州都督とした。

223年、都亭侯に封じられ振威将軍[3]を加えられた。

費観wikiより

費禕

孔明の後継者のひとり。この34巻時点ではまだ仕官してはいないが、劉備が益州を、収めて間も無く仕官している。
生涯wikiを見てみると、なかなかの活躍っぷりとこの『三國志11』の能力の高さである。

尚書令時代の費禕は日々の膨大な政事を過ちなくこなしつつも、宴席や博打事などにも遊び呆けていた。しかし、同職を引き継いだ董允がこれを真似ようとすると、数日で仕事が大きく遅滞した。董允は「人の能力の差とはこれ程あるものか。私の力は(費禕に)全く及ばない。一日中仕事をしていても、全く余裕がないではないか」と嘆いた。一方、私生活での費禕は慎み深く質素で、家に蓄財をすることはなかった。

244年の魏軍による漢中侵攻の際、出陣直前に来敏が費禕を訪ねてきて「しばらく君と会えなくなるから、日頃の囲碁の決着をつけておこう」と申し出た。費禕は勝負を受け、二人で囲碁を打ち始めたが、出陣に際して周囲が慌しくなってゆく様子に、来敏の方が耐えられなくなり「君を試すつもりで勝負を申し出たが、この度胸の据わり具合ならば、いざ前線にあっても何の心配も要らないだろう」と感嘆の意を表した。果たして費禕が前線に赴き、既定の方針に従って指揮を執ったところ、見事に魏軍を撃破し退けたという。

費禕wikiより
さいともくん

もうちょいゲームの能力高くしてもええんちゃいますの?!

こーめーくん

私からもお願いします!

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この記事を書いた人

東京都下在住のフリーランス。アコギ初心者練習に余念のない元ベーシストバンドマン。ピアノの音すき。つまりは音楽が好きです。
本業の仕事では、ほぼ毎日運転しつつも十年以上無事故無違反のガチゴールド安全運転者。
禁煙歴2年になります。
当ブログの『さいともブログ』ではイヤホンを中心としたガジェット、はたまた横山光輝「三国志」についてのブログとなっております。

ahamo

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