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三国志 横山光輝 23 長板の攻防 張飛趙雲の活躍!

張飛翼徳
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横山光輝 三国志 23 長板の攻防

目次

はじめに

さいともくん

本の内容については漫画を読めばいいと思うので、ここでの記事は補足となる、人物や物事を取り上げて漫画を少しでも楽しく読めるようにするのが本記事の目的とします!
よろしくお願いします!

こーめーくん

よろしくお願いします!

せんにーん

前回の記事はこちら!

あらすじ

徐庶が和睦の使者として玄徳の元へ
魏延の登場
蔡瑁は曹操のもとへ
蔡瑁は水軍の提督に

張飛の長板橋で一騎、曹操軍と対峙する。
ここでもやはり知恵は使われている。

趙雲は阿斗を抱いて戦う勇姿。四字熟語でいうところの獅子奮迅。

劉備が夫人や子をほったらかして逃げた説がここでもでてくる。

江夏、夏口に劉琦と逃げた劉備。
ほかの荊州は曹操の軍門にくだった。

そしてここから赤壁の戦いがはじまる。

キーワード 水軍

『南船北馬』という言葉があるらしい。
まさにここまでの三国志は北で行われ、呂布をはじめ多くの馬に乗った豪傑が活躍してきた。

魏晋南北朝時代、五代十国時代、南宋時代のように中国が南北の勢力で分割されたとき、水路が入り組んだ南方江南の諸国は水路を天険の守りとし、強力な水軍を養成してしばしば北方の騎馬兵力を擁して軍事的に優越した華北諸国の軍を撃退することに成功した。

また軍事においてもそうだが、交通の便においても北は馬、南は船というのがメタらしい。
同じ中国大陸ではあるが、長江という大きな河により文明は大きく北とは違った風景を感ずる。

ピックアップ人物伝 孫権

孫権
三國志14 孫権 コーエーテクモゲームスより

ここまで呉の国を築いてきた、孫堅と孫策。
それをついだ孫権


野望を具現化できる能力を持つ曹操
徳や義、時には儒教の教えを超えた態度や行動で示して人々の人心を掌握する劉備


一方であまりはっきりしない色の見えない君主のといった感がある孫権だが、実際はどうだったのだろうか?

孫堅

孫堅
三國志14 孫堅 公式より

孫策

孫策
三國志14 孫策 公式より

積極的な人材登用を行い、内政を整え、兄から受け継いだ国土を安定させ、巧みな内政手腕を発揮して江東を治めた。周瑜から「主君は賢者に親しみ士人を尊重され、奇才を認め異能を取り上げておられます。先哲によって天命を承けて劉氏に代わる者は必ず東南に興り、最終的に帝業の基を築き上げられます」と予言され、そして魯粛を薦められた。

魯粛は「漢を復興することなどは無理なことであり、曹操もそう簡単には取り除くことが出来ません。北方の騒乱に乗じて黄祖・劉表を攻めて荊州を制圧し、長江を北岸として割拠してから、自ら帝王を名乗るべきです」と提案した。

孫権wikiより

横山三国志では魯粛は孔明の案内人的な扱いだが、この呉において1番の人物は魯粛なのではないか?
魯粛については26巻でにふれることになる。

203年(建安8年)、父の仇である孫権は自ら指揮を執って江夏を討伐し、黄祖軍打ち破ったが、黄祖が城に逃げ込んでこれを固守した。しかしこの時、山越が背後で反乱が起こったため孫権は撤退した。孫権は豫章に戻り、呂範に命じてに鄱陽を平定させ、程普に楽安を討たせた。建安・漢興・南平の不服従民が再び背き、賀斉に命じて鎮圧させた。反乱の頭目は悉く捕虜となり、討ち取った首は6千にもなったという。のち黄祖の元部下甘寧が降伏してきたためこれを受け入れた。腹心の顧徽を曹操へ使者として派遣し、朝廷の内情を調査した。

206年(建安11年)、孫権は周瑜・孫瑜・凌統を率いて、山越の麻屯・保屯を討伐し、1万余の捕虜を得た。

208年(建安13年)、孫権が再び江夏に自ら軍の指揮を執り討伐し、黄祖を討ち取り江夏郡の南部を落とした。

孫権wikiより

横山三国志、とりわけ演義においてはたびたびの劉表の黄祖との戦は描かれてはいない。

積極的に人材を登用し、政治を治め、戦にも参加してるところをみると普通のことのように思えるが、すばらしいほど評価に値する人物であることがわかる。

トピック 曹操の身分


赤壁現在では丞相と呼ばれているが、官職についていくつかwikiからみる。
しかしながら簡単にいってしまえば、曹操は後漢の内閣総理大臣ということ。
そう、内閣総理大臣が先頭に立って、戦をして孫権を討って江東を獲ようとしている。
簡単ついでで言えば、孫権は知事のようなものという解釈が身勝手ながら楽しくもある。

丞相

丞相(じょうしょう)は、古代中国の戦国時代以降のいくつかの王朝で、君主を補佐した最高位の官吏を指す。今日における、元首が政務を総攬する国(大統領制の国や君主が任意に政府要職者を任命できる国)の首相に相当する。

丞相wikiより

尚書令

古くは単に尚書と呼ばれ、秦・漢において宮中に詰め、皇帝の文書の管理をつかさどる秘書官の役であったが、後漢以後は、光武帝の親政にともなって、権力の中枢を担う実権を握り、独自の官衙である尚書台を従えるようになった。『漢官儀』では、上奏事を掌り、綱紀を統括し、一切を取り仕切る職掌を有していた、とし、司隷校尉・御史中丞とともに「三独座」と称される顕官となった。

尚書令wikiより

中書令

漢代の中書令は内廷(後宮など宮廷の皇帝の私的な部分)の秘書長であり宦官が就任し、宦官となった司馬遷も就任した。宣帝以降、側近として重用され、中書令の弘恭や石顕が権力を握った。しかし成帝の時に廃止された。

その後、魏の文帝の時代に復活し、宦官ではない皇帝の側近が就任した(孫資・李豊など)。さらに、中書令の役所である中書省が創設された。当初、中書省の長官は中書監といわれ、中書令はその次官であった。西晋期の官吏目録に中書監に荀勗、中書令に和嶠という記録がある。

中書令wikiより
張飛翼徳

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この記事を書いた人

東京都下在住のフリーランス。アコギ初心者練習に余念のない元ベーシストバンドマン。ピアノの音すき。つまりは音楽が好きです。
本業の仕事では、ほぼ毎日運転しつつも十年以上無事故無違反のガチゴールド安全運転者。
禁煙歴2年になります。
当ブログの『さいともブログ』ではイヤホンを中心としたガジェット、はたまた横山光輝「三国志」についてのブログとなっております。

ahamo

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