横山光輝 三国志 21 孔明の出廬
はじめに

本の内容については漫画を読めばいいと思うので、ここでの記事は補足となる、人物や物事を取り上げて漫画を少しでも楽しく読めるようにするのが本記事の目的とします!
よろしくお願いします!



よろしくお願いします!



前回の記事はこちら!


あらすじ
玄徳の樊城の入城
曹操 程昱の策略により徐庶の引き抜き
孔明の登場
孔明の生い立ち
劉備関羽張飛のやりとりがおもしろい三顧の礼
キーワード 三顧の礼


劉備関羽張飛の3人による桃園の誓い
劉備曹操孫権の三国志
そして、劉備関羽張飛が孔明を三度たずねる三顧の礼。
いよいよこの物語の最大の分岐点をむかえる。
黄巾の乱の鎮圧で関羽・張飛とともに天下に名を揚げていた劉備に対して、諸葛亮は司馬徽など一部の人にしかまだ名前を知られていなかった。
しかも劉備が40代に対し諸葛亮は20代であり社会通念上、明らかな上下関係があるにも関わらず、それに捉われない応対をしたことから有名になった故事である。
この逸話は後世の日本にも影響を与えており、木下藤吉郎が竹中重治を配下に加えるくだりで使われている[1]。
三顧の礼wikiより
故事
とある。
トピックで故事について触れたい。
ピックアップ人物伝 徐庶


ここは孔明だろう!
となりそうですが、この巻はこの後ほとんど登場することはないであろう徐庶をみる。
撃剣の使い手で、義侠心に厚く、人の敵討ちを引き受けるが役人に捕らわれ、後日仲間に助け出された。これに感激して以降は剣を捨て、学問に励むようになり、出身地を同じくする石韜と親しく交際するようになった。
中平年間(184年 – 189年)に中原が乱れると、石韜と共に荊州へ移住し、司馬徽の門下生となった。諸葛亮・孟建と特に親しくなり、韓嵩・向朗とも親交した。
徐庶wikiより
どうやら軍師と迎え、曹軍に対して戦功を得たというのは演義のはなしのようだ。
ただ、劉備に孔明を推挙していったのは間違いないようだ。



演義や横山三国志では、軍師とは何ぞやというか
孔明を登場させる前哨戦として徐庶が使われている?



正史に記載が少ないから、
そういう展開も考えられるわね!
トピック 故事
故事
故事(こじ)とは、大昔にあった物や出来事。また、遠い過去から今に伝わる、由緒ある事柄。特に中国の古典に書かれている逸話のうち、今日でも「故事成語」や「故事成句」として日常の会話や文章で繁用されるものをいう。
故事成語/故事成句(こじ せいご/こじ せいく)とは、故事をその語源とする一群の慣用語句の総称。本来の中国語ではただ「成語」というが、日本では故事を語源とするものをその他の熟語や慣用句と区別するために、このような呼び方となった。
ものごとのいわれ(由来)や、たとえ(比喩)、おもい(観念)、いましめ(標語)など、面と向かっては言い難いことを婉曲に示唆したり、複雑な内容を端的に表したりする際に便利な語句で、中には日本語の単語として完全に同化したもの(「完璧」「矛盾」など)や、日本語のことわざとして定着したもの(「井の中の蛙大海を知らず」「虎の威を借る狐」など)も多い。
故事wikiより



面と向かって言い難いことを婉曲に示唆とは、
なかなかおもしろい表現じゃのう!



三国志では様々な故事がありますよね!
水魚の交わり
水魚の交わり(すいぎょのまじわり)は、故事成語の一つ。「魚は水があってこそ生きていられる」という例をもって「欠くべからざる友の存在」を喩えたもので、「水と魚のように切っても切れない親しい関係」を「離れることができない、親密な間柄や交際」の喩えなどに用いる。主従や夫婦の仲が良いことなどについても用いる。漢文、四字熟語で水魚之交とも記すが、日本語ではこれは「すいぎょのこう」とも読む。起源の中国語では、通常、元となった故事から如魚得水(書き下し文例 :魚〈うお〉の水を得たるが如し、文意 :魚が水を得たようなもの)と表され、水を得た魚のように、「自分に適した環境・境遇を得る」、「自分が十分に活躍できる環境・境遇を得る」、「気の合う友を得る」などといった意味で用いる。
故事wikiより
髀肉の嘆
この時期のエピソードとして「ある宴席で、劉備が厠に行った後に涙を流して帰ってきた。どうしたのかと劉表が聞くと『私は若い頃から馬の鞍に乗っていたので髀(もも)の肉は全て落ちていました。しかし今、馬に乗らなくなったので髀に肉が付いてしまいました。既に年老いて、何の功業も挙げていないので、それが悲しくなったのです』と答えた」という話がある(裴松之が注に引く『九州春秋』より)。この事から髀肉之嘆(ひにくのたん)という故事成語が生まれた。
故事wikiより



これわいのことやん(´;ω;`)ウッ…



なんとか生き抜いてきた劉備じゃが、
なんのために生き抜いてきたのか嘆いたのかのぉ?
泣いて馬謖を斬る
『泣いて馬謖を斬る』(ないてばしょくをきる、中: 揮淚斬馬謖)とは、中国の三国時代、蜀の諸葛亮が日ごろ重用していた配下の馬謖が命に従わず魏に大敗したために、泣いて斬罪に処したという「蜀志」馬謖伝の故事から、規律を保つために、たとえ愛する者であっても、違反者は厳しく処分することのたとえ、である。
故事wikiより



このこについては後ほど!
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