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横山光輝 三国志 17 関羽の苦悶

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横山光輝 三国志 17 関羽の苦悶

目次

はじめに

内容はあらすじ程度に!
ここでは補足として人物などをピックアップしてあとは漫画の方を楽しく読めますように!
というのがこの記事たちの目的!

前回の記事はこちら!↓

https://satoimogunsoblog.com/sangokusi16/350/

苦悶とは  はじめて聞く言葉なのでgoo辞書より

1「苦悶」は、精神的な苦しみだけではなく肉体的な苦しみの場合にも用いるが、「悩み」「苦悩」は、もっぱら精神的な苦しみに用いる。
2「悩み」「苦悩」「苦悶」の順で、苦しみの程度がより深刻になる。したがって、「軽い悩み」とはいうが、「軽い苦悶」とはいわない。

あらすじ

曹操暗殺計画失敗。
曹操がどんどん悪役となってくる。
馬騰の睨み。

曹操軍、劉備の徐州へ進撃!
袁紹は動かずじまい。

劉備軍敗れて、バラバラに
関羽は曹操に降るかたちとなる。

キーワード 曹操と関羽

能力のある人材が欲しい。
これは企業や経営者、スポーツの世界でも同じことがいえるだろう。
これこそ合理主義の源なのではないかと考えてしまう。
会社経営にしても、どんなにハードやソフトが進化しても、それを操る能力のある人間が不可欠なのを曹操は知っているのがうかがえる。
曹操の成功の源はこの曹操の能力のある人間への誠意なのではいかと、ここでは思った。
やや基本的なことにも感じるが、世の中それがなかなかできるものではない。

ピックアップ人物伝 関羽

関羽についてはまったくもってということがないほどであるのだが、触れないわけにもいかない。

関羽像は正史でも演義でも基本的には代わり映えはないように思える。

人物

『春秋左氏伝』を好み、ほぼ暗誦できた[20]。

219年に龐徳から毒矢を受けた際[21]、骨にまで毒が染み込んでいたために、肘を切開して毒が染み込んだ部分を削り取らせたことがあったが、宴会の最中であったにもかかわらずその場で切開させ、痛むそぶりも見せずに酒や肉を飲食し、平然と談笑していたという[22]。

自信過剰なために、部下には優しいが同僚を軽んじることがあり、南郡太守の糜芳、将軍の士仁は関羽と隙があり、荊州治中の潘濬とは親交を結ぼうとしなかった。彼らは孫権に降伏し、呉蜀間で裏切り者として笑い者になったという[23]。また張飛とともに諸葛亮の厚遇振りを悦ばなかったが劉備に説得されると態度を改めたという。

黄忠が後将軍に任じられた際、劉備と対等な存在と自任していた群雄・関羽は「あんな老兵と同格になれるか」と不満を表し、前将軍への就任を拒否しようとしたが、使者である費詩に諌められると彼の言葉に大いに感じ入り、過ちを悟って即座に拝命した(『三国志』蜀志「費詩伝」)。

敵方でありながら張遼・徐晃とは親交があり、彼らとは互いに尊敬しあっており『傅子』では張遼は関羽を兄弟と呼び、『蜀記』では関羽は徐晃を大兄と呼んでいる。

『三国志』を著した陳寿は、關張馬黄趙傳の最後に関羽・張飛2人の人物評をこうまとめている。

評曰 關羽 張飛皆稱萬人之敵 為世虎臣 羽報效曹公 飛義釋嚴顏 並有國士之風 然羽剛而自矜 飛暴而無恩 以短取敗 理數之常也

(関羽・張飛の2人は、1人で万の兵に匹敵すると賞賛され、当世における虎臣《勇猛な家臣》であった。関羽は顔良を斬って義を果たし、張飛は厳顔の義心に感じ入ってその縄目を解き、両者並んで国士の気風があった。しかし、関羽は剛情で自信を持ち過ぎ、張飛は乱暴で情を持たず、両者共その短所により身の破滅を招いた。道理からいって当然である。)
— 『三國志』巻36蜀志6 關張馬黄趙傳[24]
程昱からは「関羽と張飛の武勇は一万の兵に相当する」と評価された(『三国志』魏志「程昱伝」)。

郭嘉も同様に張飛・関羽は共に1万の兵に匹敵するとし、劉備の為に死を以て働いていると評した(『傅子』)。

董昭は関羽・張飛は劉備の羽翼であり恐れるべきであると評した(『三国志』魏志「董昭伝」)。

章武元年(221年)、劉備が呉に報復を行うかを曹丕(文帝)が臣下に諮った際に、臣下は「蜀は小国で、名将と呼べるのは関羽1人でございました(その関羽と荊州を失った以上、蜀には戦う力が無いので、報復など行えない)」と答えている(『三国志』魏志「劉曄伝」)。また、同じ劉曄伝には「勇三軍に冠とする将たり」ともある。

『傅子』には、張飛と共にその武勇と義は天下に知れ渡っており、諸葛亮と合わせに人傑であって、この三人が劉備を助けているのだから蜀を平定できないわけがないと語られている。

また周瑜は関羽を張飛と共に熊虎之将であり、劉備から切り離し自らが使わしめば、大事を定めることも可能であるとした(『三国志』呉志「周瑜伝」)。

袁準は張飛と共に劉備を支え爪牙となった腹心の武人であるとした(『袁子』)。

一方、廖立からは「(荊州を攻めるに当たって)自分の勇名を恃んで猪突猛進したため、前後の戦役(樊城・夷陵)でたびたび兵を失う原因となった」と批判された。

関羽wikiより

欠点も多々あるが、神様になった関羽。
人気のほどがうかがえる。

トピック 劉備について

横山光輝三国志3においてピックアップしているが、劉備の立ち回りについて考えたい。

https://satoimogunsoblog.com/sangokushi3/89/


孔明がというより軍師不在という観点からなのかつねに負けては他を当たり生きながらえている。
しかしながら、逆に軍師不在だからこそ、生き延びれたともいえるかもしれない。生きて逃げるしかなかったのかもしれない。

わたしが子供の頃、ゲームで三国志を知って劉備の魅力について考えさせられたが、彼のカリスマというのはどういったところなのだろう。

性格について 編集
劉備は読書を甚だしくは楽しまず、狗馬や音楽、見栄えがある衣服を好んだ。言葉は少なく、よく人にへりくだり、喜怒の感情を表にださなかった。豪侠と交わることを好んだため、若者は争って彼についていった。

風貌について

劉備
劉備は背丈が七尺五寸(約173センチ)、腕が膝に届くまであり、耳が非常に大きく自分の耳を見ることが出来たと言う[5]。

「蜀書」周羣伝には張裕に「潞涿君」(ひげの薄い人の意[6])とあげつらわれたとある[7]。

劉備wikiより

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この記事を書いた人

東京都下在住のフリーランス。アコギ初心者練習に余念のない元ベーシストバンドマン。ピアノの音すき。つまりは音楽が好きです。
本業の仕事では、ほぼ毎日運転しつつも十年以上無事故無違反のガチゴールド安全運転者。
禁煙歴2年になります。
当ブログの『さいともブログ』ではイヤホンを中心としたガジェット、はたまた横山光輝「三国志」についてのブログとなっております。

ahamo

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