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横山光輝 三国志 11 孫策の快進撃 江東の英雄 孫策と軍師の代名詞 荀彧について

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横山光輝 三国志 11 孫策の快進撃

目次

はじめに

さいともくん

本の内容については漫画を読めばいいと思うので、ここでの記事は補足となる、人物や物事を取り上げて漫画を少しでも楽しく読めるようにするのが本記事の目的とします!
よろしくお願いします!

こーめーくん

よろしくお願いします!

せんにーん

前回の記事はこちら!

あらすじ

孫策の少ない借り物の戦力で、知恵を絞り勇猛果敢に劉繇軍を攻めていく。これが英雄でなくてなんといおうか?

降伏した太史慈が三日の暇をもらい三千の精鋭を連れて帰ってくる。
かっこよすぎ!

しかしながら、孫策には別の見方もあるようだ
そのことについては前回の記事にて!

キーワード
紀霊と呂布と劉備の会談について

呂布は、袁術がもし劉備を滅ぼしたならば、臧覇らと結んで自分を包囲しようと企むであろうと見抜き、紀霊と劉備の仲裁に出た。呂布は紀霊に対し「地面に挿した戟の小枝(胡)に矢を射当てたら軍を引き揚げよ」と申し渡し、見事そこに矢を射当てた。紀霊は約束により止むを得ず兵を引いたが、その後の動向は不明である。

呂布wikiより

ここは正史においてもまったくといっていいほど同じ逸話となっている。
呂布とは思えない矛盾した!?智を発揮している。

こーめーくん

たんなるパフォーマンス?!

さいともくん

!?

ピックアップ人物伝 荀彧

コーエーテクモゲームス 三國志14 より

前回の記事の「二虎競食の計」、「駆虎呑狼の計」を推し、謀に長けて智将とは軍師とはという代名詞的な存在の荀彧
しかしながら、横山三国志での曹操の配下についてなかなか輝かしく描かれているところが少ない。
荀彧もそんな人物のひとり。

陳羣や孔融は、荀彧をその兄弟や荀攸・荀悦らとともに、「汝・潁地方の人物で彼らと匹敵できる人物はいない」と称賛した(『荀氏家伝』)。

同僚の鍾繇は「(孔子の弟子の)顔回の没後、それに匹敵する徳を備えた唯一の人物である」と称賛した(『荀彧別伝』)。

司馬懿は「書物に書かれていることや、遠方の出来事を見たり聞いたりはしているが、百数十年間に亘って、荀彧殿に及ぶ賢才は存在しない」と評価した(『荀彧別伝』)。

荀彧wikiより

『三国志』の編者である陳寿は、彼と、年長の甥の荀攸、そして謀士賈詡の三名を、同じ巻に納めている(『三国志魏書巻十』)。陳寿の荀彧に対する評価は「荀彧は涼しげな風貌と王佐の風格、さらに先見の明を備えていた。しかし志を達成することは出来なかった」とある。

『三国志』に注釈を付けた裴松之は、「当時のような乱世を平和に導くために、曹操に協力するほかは無かった。このことにより漢は生きながらえ、民衆は救われた」と絶賛している。また裴松之は賈詡に対して厳しい評価を与えていたので「荀彧や荀攸のような人物を、賈詡などと同列に扱うのはおかしい」と述べている。

荀彧wikiより
さいともくん

さらに荀彧について深掘りした記事を書いてみました!

トピック 人物王郎と虞翻

王朗に愛想をつかす人物として仲翔というのがでてきたのだが、なんだこの人物は?と思ったら虞翻でした!

虞翻

初め会稽の王朗に仕え功曹に任じられた。王朗が孫策と敵対し、会稽に孫策軍が迫ると、父の喪中であるにもかかわらず王朗との面会を求め、抵抗せずに避難するよう勧めた。王朗はその言葉に従わず、孫策と戦ったが敗れ、船で海上に逃げ延びた。虞翻は王朗を追いかけ、随行し守護した[2]。東部侯官の役所への保護を求めたところ、長官から拒絶された。しかし虞翻が使者に立ち説得に当ったため、入城することができた。虞翻は、虞翻の母の身を案じた王朗の勧めで、会稽へ戻ることにした[3]。

孫策に招聘され仕官に応じ[4]、引き続き会稽郡の事務を担当した。孫策は乗馬し狩猟することを趣味とした。しかし虞翻は、暗殺の危険があることを理由にそれを諌めた[5]。

虞翻wikiより

虞翻はとにかく毒舌というか、持論を曲げないというか、我が強いというか、やんわりした印象がまるでない。

後に孫権は、虞翻があまりにも率直な発言をするところが気に入らず、また元々虞翻が協調性を欠く性格であったことから、我慢できずついに左遷して丹陽郡涇県に移住させた。しかし、呂蒙は虞翻の才能を惜しみ、荊州の関羽征伐に医学の心得がある虞翻を従軍させたいと思ったため、功績により復帰できるよう取り計らってやった。

虞翻wikiより

さて王朗である。
たしか曹操の重鎮だった気がするのだが、横山三国志ではここだけの登場だった気がする。

王朗

『三国志』魏志「鍾繇華歆王朗伝」に伝がある。

評価

その文章について、陳琳は張紘に送った手紙で「こちらにいる王朗殿、そちらにいる貴方と張昭殿に、私などは到底及ばない」という旨を述べている[11]。

王沈の『魏書』では「才能と学識はずば抜けており、性質も厳格で、礼儀正しく慎ましく、施しを良くし、弱者を哀れまない強者を批判した」と評されている。『三国志』の編者である陳寿は、王朗を一代の俊傑として称え、その学識と文才を賞賛している。 一方で『世説新語』徳行篇には、一度助命して連れに加えた男性を見捨てようとして華歆に窘められたことから、世間において華歆より劣っていると見られていたとの逸話が載せられている[12]。

王朗wikiより

荀彧や賈詡などとはまた別の知者だというのがうかがえ、正史と演義や小説とはだいぶ異なる人物の扱いである。

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この記事を書いた人

東京都下在住のフリーランス。アコギ初心者練習に余念のない元ベーシストバンドマン。ピアノの音すき。つまりは音楽が好きです。
本業の仕事では、ほぼ毎日運転しつつも十年以上無事故無違反のガチゴールド安全運転者。
禁煙歴2年になります。
当ブログの『さいともブログ』ではイヤホンを中心としたガジェット、はたまた横山光輝「三国志」についてのブログとなっております。

ahamo

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