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【主人公のいない三国志最終巻】三国志 横山光輝 60 蜀漢その後

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三国志 横山光輝 60 蜀漢その後

さいともくん

こんにちわ!さいともと申します。

いよいよ今回が最終巻となります!

前回はとうとう孔明が五丈原にて志半ばで陣没しました。
さらに魏延が確執により、楊儀をからめた内紛から馬岱に斬られる。

魏延については誤解もあるかも?

前回の記事

この最終巻は蜀漢のその後、そして蜀漢に攻め込んで劉禅を降伏させた将軍、鄧艾と鍾会について!

そしてこれまで横山光輝『三国志』をwikiからの正史と合わせてを見てきたわたしなりの感想を述べたいと思います。

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※この記事の主旨について

この横山光輝『三国志』記事はこの漫画(演義)とwikiからの正史を見合わせて思いを馳せて楽しむのが主旨です!

歴史検証や論文的なものではございませんのでご了承ください。

横山三国志や演義での孔明はこんな描かれ方でも、正史ではこんなだった!

的なギャップを楽しめればという内容です。

こーめーくん

よろしくお願いします!

目次

あらすじ

劉禅
コーエーテクモゲームス 三國志14 公式より

孔明死後、出世がままならなかった楊儀は不平を漏らして平民へ落とされて自害する。
孔明亡き後、安心した曹叡は宮廷を増築したりと暴政を布く。
司馬懿は遼東の公孫淵を討つも、その後曹叡が病死。
8歳の曹芳が即位。
しかし、曹爽(曹真の子)一派が魏を牛耳り、司馬懿は名誉職だけを与えられることになる。

しかし数々の曹爽一族の専横に司馬懿は魏を大掃除(クーデター)し曹爽一族をことごとく処刑する。

一方で蜀は費禕が暗殺され、姜維が北伐を開始するもうまくはいかず、皇帝の劉禅は酒と女遊びばかりの日々を送っていった。

鄧艾、鍾会による蜀討伐に劉禅は降伏。
蜀は滅亡して、この物語は終わる。

著:横山 光輝
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キーワード 蜀漢その後

その後ということもあり、時はたち三国状態は続いていても、蜀漢帝国のほころびは日に日に多くなっていっているのが伺える。

さいともくん

孔明死後、年表を見て司馬炎の統一までをみていきます。

孔明の北伐を防ぎ、呉軍を撃退した魏はつかのまの平和なのか曹叡自身気が緩む

曹叡についての記事

また活躍を見せた司馬懿はその軍功と権力を手に入れるが、周りから警戒される。
しかしその疑いの中、遼東の公孫氏が独立して呉と結ぶ動きを見せたため、司馬懿は討伐を命じられる。
238年これを滅ぼす。


239年 倭の卑弥呼の特使が魏に訪れる(魏志倭人伝)
239年 曹叡が崩御(34歳)して曹芳が魏の皇帝となる。


曹叡は後見として司馬懿と曹爽に託したが、司馬懿は閑職へと追いやられる。
249年 これに対して司馬懿は息子と共にクーデターを起こす。曹爽一派を掃討して権力を掌握。(高平陵の変
クーデターは行ったものの、司馬懿は帝位を簒奪せず、曹操の例に習った。


250年頃 呉にて二宮事件

二宮事件に巻き込まれた陸遜

251年 司馬懿死去。

司馬懿の後継は長男の司馬師。司馬師が死去すると弟の司馬昭が継ぐ。

司馬師 司馬昭について 

252年 孫権が崩御 10歳の孫亮が即位
諸葛恪が呉の政権を握る。


しかしながら魏への侵攻に失敗すると声望を失い、豪族勢力を抑え込み中央政権を改革しようとするも、これに不満を抱いた孫峻がクーデターを行い、諸葛恪は殺されて呉の政権を握る。

255年 毌丘倹の乱  魏
255年 姜維が魏を攻めて魏の雍州刺史の王経に大勝したが翌年大敗。これにより蜀の国力が疲弊。

256年 孫峻病死 孫峻の従弟の孫綝が権力を握り孫峻同様の独裁体制を行う。


257年 諸葛誕の反乱 魏
※ちなみに諸葛誕の反乱は呉軍も巻き込み、魏軍26万VS諸葛誕・呉軍20万が1年にわたり戦った。

この戦いの後、呉では孫綝の排除に孫亮が動くも失敗して廃位。孫権の六男の孫休が代わりに擁立され皇帝となる。
孫休は張布・丁奉らとクーデターを計画していた孫綝を捕らえ、処刑。


258年以降 蜀漢において宦官の黄皓が政治を乱す。皇帝の劉禅は遊び呆けていた。

コーエーテクモゲームス 三國志11 より
さいともくん

気持ちはわかるが嫌われすぎ能力!


この蜀の実情を把握した司馬昭は鄧艾・鍾会に20万の兵を与えて侵攻。
263年成都を開城させて蜀を滅ぼす。

264年 鍾会が姜維とともに反乱をおこすも失敗。さらに混乱の中鄧艾も討たれる。
この反乱に乗じて呉が永安城に攻めるも失敗。
魏に降伏した霍弋は呉支配の交州を制圧。

コーエーテクモゲームス 三國志11 より

264年 呉の皇帝孫休が崩御。孫晧が皇帝に即位するも暴政をしき、国が乱れる。

コーエーテクモゲームス 三國志11 より
さいともくん

すごい能力値・・・

265年 司馬昭死去。息子の司馬炎が跡を継ぐ。
魏の皇帝曹奐から禅譲を受けて晋国皇帝となり建国。魏が滅亡する。

司馬炎はしばらく内政に従事。

270年 鮮卑が晋に対して反乱。大きな異民族反乱となり277年司馬駿・文鴦が降伏させるも再び反乱。馬隆に滅ぼされる。

271年 呉は再び交州主要部を制圧。

272年 呉の歩闡が晋に寝返り反乱。陸抗が鎮圧する。

279年 司馬炎が呉に出兵して280年呉を滅ぼして中国を統一。

コーエーテクモゲームス 三國志11 より

三国時代終わる。

しかし統一から30年で晋は崩壊して中国は異民族を巻き込んだ長い分断状態となる。

諸葛誕
コーエーテクモゲームス 真三國無双8 公式より

ピックアップ人物伝 鍾会と鄧艾

鍾会

鍾会
コーエーテクモゲームス 真三國無双8 公式より

父は鍾繇。魏の武将・政治家・学者
教育熱心な母に英才教育を受ける。
20歳で朝廷に出仕。父が国家の重鎮鍾繇ということもあり若くして重用されることとなる。

時は流れて司馬師・司馬昭に重用され、毌丘倹・文欽・諸葛誕の乱の鎮圧に参謀として参加。
諸葛誕の乱で参謀として参加。
軍事面でも活躍を見せて策略にも長けて、さらには人物眼もあった。
しかし彼の最大の欠点は功績を誇り慎み深さがなく司馬昭の夫人、王元姫には

「鍾士季は利に目を向けて義を忘れ、何でも自分でやりたがる人です。恩寵が過ぎれば、必ずや見境をなくします。大任を与えてはなりません」

鍾会 wikiより

263年 鍾会は司馬昭の命令で鄧艾とともに蜀征伐に出陣
そして蜀皇帝が降伏する。
鍾会は蜀に対して略奪などを認めず、姜維など官僚たちとも友好的に接した。
これにより鍾会は司徒に昇進。

しかし蜀滅亡後の鍾会は味方武将を排除していき、さらには鄧艾も独断専横の勝手な行動をしたとして告発
これにより鄧艾は逮捕される。

これに気を大きくした鍾会は自立の野心をあらわにして姜維と手を組んで魏に反逆。

失敗しても劉備くらいにはなれると計算。

しかしこの反逆はうまくいかず殺される。このとき40歳

司馬昭はこの鍾会の反逆の意思を見抜いていたうえで蜀討伐に出陣させている。

陳寿の鍾会評

「熟練した策略家であったが、大きな野心を抱き、災禍をよく考えずに反逆した結果、一族とともに殺害された」

鍾会 wikiより
コーエーテクモゲームス 三國志11 より

鄧艾

鄧艾
コーエーテクモゲームス 真三國無双8 公式より

内政・軍事問わず多くの功績を挙げ、姜維の北伐を幾度も防いだ。晩年には蜀征伐を行ない、劉禅を降伏させた。

吃音であったが幼い時から知略と強い意志を持ち合わせていた。
司馬懿に見いだされて徐々に出世していく。
運河整備の必要性を司馬懿に強く説き呉方面の対策に従事した。

249年 姜維の侵攻を郭淮に付き従い防ぐ。
その後は異民族対策を献策。
また農耕の重要性を説いたりと多くの献策をおこなった。

255年、揚州を守備していた毌丘倹・文欽が反乱
ここでも活躍して文欽らを破り出世する。

255年 今度は蜀の姜維の侵攻で王経が大敗すると救援に向かい姜維を撤退させるにまで至る。
256年 武城山に拠って姜維と対峙。段谷の戦い
この戦いで完膚なきまでに姜維を破る
257年 諸葛誕の反乱に呼応する形で姜維が侵攻。
鄧艾は救援に向かい侵攻を防ぐ。
262年 姜維の北伐に勝利。
263年 司馬昭の陣頭指揮で蜀討伐を行う。
剣閣で守備についた姜維を攻めあぐねた鄧艾はここを鍾会に任せて、蜀の険しい山谷を越えて行軍し、ついには成都へたどり着いて、劉禅を降伏させた。

鄧艾は成都で戦後処理を行うと手柄を自慢するようになる。

諸君は私に会ったお陰で、今日の日を迎えられるのだ。もし(後漢初期に蜀を攻め滅ぼした)呉漢のような男に出会っていたならば、とっくに破滅していただろう。」

「姜維は彼なりに当代の英雄であるのだが、私と遭遇したために追い詰められたのだ。」

鄧艾 wikiより

さらにこの勢いに乗じて呉征伐の計画を立てたが司馬昭に却下された。

これらのことをよく思わなかった鍾会は鄧艾の行動を反逆行為だとして上奏
鄧艾は逮捕される。

そして鍾会・姜維のクーデターのいざこざの中、鄧艾は殺される。

評価

『三国志』の著者陳寿は、鄧艾を「強い意志力で功績を打ち立てた。しかし災いを防ぐ配慮に欠けていた」と評している。

唐の史館が選んだ中国史上六十四名将に選ばれている(武廟六十四将)。魏で選ばれたのは彼と張遼だけである。

鄧艾 wikiより
コーエーテクモゲームス 三國志11 より

トピック 横山光輝『三国志』(演義)とwikiの正史を見てきた感想。

ここまで横山光輝『三国志』を1巻ずつ見てきて思ったことを述べたいと思いますが大きく3つに分類してみていきます。

序盤から官渡の戦いまで

黄巾の乱から曹操が勝利する官渡の戦いまでは誰が見ても面白い内容がたくさんで正義の劉備もよく映えるほど、董卓呂布などなどの悪役が魅力的であったりします。
そしてなにより劉備、さらに曹操が勢力を拡大していくことに希望をもって読み進めることができます。

劉備は結局新野城で劉表の下で居座ることになりますが😅

でも主人公だし従えてる部下に張飛や関羽、趙雲といればこれからの展開は希望しかないですね。

孔明登場から夷陵の戦いまで

孔明の登場から一気にこの三国志世界を手玉に取るように劉備たちが暴れまわります。すべてといっていいほどにフィクションなのですが孔明の智謀は恐ろしいほど楽しくもあります。

赤壁の戦いで勝ったのも孔明のおかげ(周瑜孫権率いるのおかげ)
荊州を何群か抑えられたのも孔明のおかげ(張飛や関羽などのおかげ)
蜀を平定できたのも龐統亡き後駆けつけた孔明のおかげ(劉備 法正 張飛などのおかげ)
漢中をとったのも孔明の知恵のおかげ(黄忠 魏延 法正などのおかげ)

正史では戦での戦いはほぼありません。

ではなぜ演義ではこのような孔明像にしたのでしょうか?
それは劉備亡きあとの働きにあるのではと考えました。

『三国志演義』ではさらにイメージがふくらまされ、綸巾を戴き羽扇を手にして四輪車に乗り、鬼神や天候をも操り、敵の意図を全て事前に察知し、天文をもって人の生き死にを知る事が出来るといったほぼ完璧な人物として描写されている。この描写については批判もあり、魯迅などは「人物描写に至ってはすこぶる欠点がある。劉備を温厚な人格者として表現しようとしてむしろ偽善者じみているし、諸葛亮を知恵者として表現しようとしてむしろ化け物じみてしまっている」と述べている。

諸葛孔明 wikiより

孔明に関してここでは述べましたが、この三国世界を戦略的に計画したのは実は孔明だけではなく多くの名士がこの状況下で持ちえた戦略だったようです。

それを実行できる実力者、それは魯粛

この横山光輝『三国志』(演義)では文官のさえないおっさんとして登場していますが、この魯粛は呉に身置いてる時点で魏の対抗として荊州と蜀を手に入れて天下二分の計を考えていたとされています。

劉備 孔明 魯粛の三者の出会いとその後の行動が後の三国世界を作ったというのが言えるかもしれません。

あんにーん

三国志の大きな役割を担ったキーパーソン的な存在ですね。

とはいえ三国志は演義でも正史においても劉備、曹操という偉大な巨星たる君主がいても孔明に集約されるのは間違いないです。

劉備亡きあと孔明の北伐から五丈原まで

夷陵の戦い陸遜らに完膚なきまで敗北した蜀漢帝国。

劉備亡きあとの孔明は前回の記事で詳しく述べましたが、とにかく「わたくしごと」がなく国に関わる全てのことをやっている史上まれな状態になっています。

これまでは軍事は主君の劉備・関羽・張飛、軍政面は法正や龐統、内政は孔明が中心でやってきたの役割もはっきりしていて劉備軍が常勝していく確かな形がありました。
しかしほとんどの人物が夷陵の戦い以降なくなって蜀の国力もさることながら、人材が一気になくなってしまいました。

きっと人材登用も捜索も教育もしたと思われますが、劉備・関羽・張飛同等レベルの人材なんてそうやすやすと出てくるわけもないですよね。

曹魏のすごみ

wikiから正史を見てきて驚かされるのは魏の人材の凄みではないだろうか?
横山光輝『三国志』の張遼は関羽と仲のいい実力あるおっちゃんというイメージですが、これに続く李典楽進徐晃などなどこんなすごい将軍抱えた曹魏が弱いわけない!といった感じでした。

さいともくん

日本の律儀な侍の原型を見た気がしました。

演義や横山光輝『三国志』では孔明にやられるだけの人物たちが正史では全く違う面を見せてくれるのがこの三国志記事を書き進めるうえでなにより楽しかったです。

著:横山 光輝
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さいともくん

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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この記事を書いた人

東京都下在住のフリーランス。アコギ初心者練習に余念のない元ベーシストバンドマン。ピアノの音すき。つまりは音楽が好きです。
本業の仕事では、ほぼ毎日運転しつつも十年以上無事故無違反のガチゴールド安全運転者。
禁煙歴2年になります。
当ブログの『さいともブログ』ではイヤホンを中心としたガジェット、はたまた横山光輝「三国志」についてのブログとなっております。

ahamo

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