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三国志 横山光輝 42 曹操の死 【曹操は万能の天才!曹丕はその反面!】

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三国志 横山光輝 42 曹操の死 【曹操は万能の天才!!!】

目次

はじめに

さいともくん

本の内容については漫画を読めばいいと思うので、ここでの記事は補足となる、人物や物事を取り上げて漫画を少しでも楽しく読めるようにするのが本記事の目的とします!
よろしくお願いします!

こーめーくん

よろしくお願いします!

せんにーん

前回の記事はこちら!

あらすじ

荊州を取り返すべく、関羽軍は進軍するも荊州の兵は戦意をなくし、さらに上庸からの援軍も得られず、関羽親子は捕まり処刑される。

関羽の死は、偶然なのかはたまた呪いなのか、三国にとって大きな災いをもたらす結果となる。
関羽の死から2ヶ月後、呂蒙が血を吐き病に倒れて死んでしまう。

そして魏では曹操が世を去る。

魏の後継者争いは曹丕に軍配が上がる。

著:横山 光輝
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キーワード 万能の天才 曹操

コーエーテクモゲームス 三國志14 曹操 公式より

この巻で曹操が病死します。ここでの描かれ方は関羽などの亡霊を見たりと幻想に悩まされての病死になります。

曹操は結局何がすごくてここまでのしあがれたのか!?

横山三国志や演義では悪役気味に描かれているため、曹操の凄みが見えてない面があります。

しかしwikiから正史の曹操をみてみた印象は


国を司る全てのことに特(スペシャル)がつくほど精通していた!ということではないでしょうか?
ここでのわたしの曹操像は

いわゆる万能の天才です!

政治
軍事
武術
治安(警察)
経済
文化

もちろん戦いに勝って勝ち進んでいたから領土も広げられたというのもありますが、領土を持っても治めなければどうにもなりません。さらに許昌、鄴という都市をもち、荒廃していたとはいえ、洛陽に長安という都市を抑えている。経済を流通させ、文化も奨励する。
献帝を用いての政治も国内外に対して有利に運用する。
そして身分制が後漢末期の通例のなか身分に関係なく、それぞれ分野への適材適所の人選と発掘も優れていました!

さいともくん

曹操については話が長くなるので文章で紹介するより要点をあげていきましょう!

あんにーん

まずは外見

「形陋」「姿貌短小」

形陋  意味

形(かたち)陋(いや)しい

姿貌短小  意味

姿かたちが小さい(背が低い)

あんにーん

ひどいいわれようですね

さいともくん

たくさんの側室に妾がいることから、ブサメンというのは信じがたいです!

政治家曹操

「孝廉」には儒教知識人が主に推挙されるが、曹操や曹操勢力の幹部である荀彧・荀攸・賈詡・董昭・鍾繇・華歆・王朗らが孝廉に推挙されている。川勝義雄は「曹操の元に多くの名士(主に儒教知識人)が集まり、やがて武将を抑えて曹操政権内で大きな権力を持った。魏公国が出来たとき、政府の(文官系の)重要官職は名士らによって占められた」としている[32]

曹操 Wikiより

また曹操は屯田(屯田制)という農政改革。
強制婚姻による兵雇制度の改革。
朝廷内の意思を統一するため三公を廃止し丞相と御史大夫の復活

またこちらは軍政になりますが


軍閥の抑制を目的とした地方分権型から中央集権型軍隊への移行

戦乱による人口の減少により自勢力と他勢力圏の境界付近に住む住民を自勢力圏のより内側に住まわせた。
降伏させた烏桓族を中国の内地に住まわせ、烏桓の兵士を曹操軍に加入させた。曹操軍の烏桓の騎兵はその名を大いに轟かせた。

曹操 Wikiより

兵法文筆家曹操

曹操は文章家でもあった、兵書『孫子』を現在残る13篇に編纂したのは曹操である[注 8]。これは『魏武注孫子』として後世に伝わることになる[注 9]。また、『隋書』経籍志によると、曹操には『孫子』の他にも、『続孫子兵法』『太公陰謀』『兵書接要』『兵書論要』などの兵法書を著している(いずれも散逸)。

曹操 Wikiより

一説には、「孟徳新書(別名・兵書接要)」は、「孫子」への解説・注釈のような形の「注釈集」であるとも云われている。

孟徳新書 Wikiより

将軍曹操

中国の漢民族はたびたび異民族の脅威にさらされ侵略を受けてきていますが、この時代は曹操に限らず、馬超や孔明の南蛮平定など強さを発揮しています。

匈奴・烏桓・羌といった世界史で有名な騎馬民族も曹操は討伐している。袁術や呂布、袁紹など決してたやすくはない相手に情報と部下の進言を巧みに取り入れて勝利へと導いている。

あんにーん

官渡の戦いがよい例ですね!

文人・詩人曹操

曹操は軍隊を率いること30数年間、昼は軍略を考え、夜は経書の勉強に励み、高所に登れば詩を作り、詩ができると管弦にのせ音楽の歌詞にしたという[37]。その記述の通り、現存する曹操の詩は、いずれも楽府という音楽の伴奏を伴った歌詞であり、代表的な作品として『文選』27巻 楽府上 楽府二首[38]に収録された下に記す「短歌行[39]」が有名である。

曹操 Wikiより

中国史上初めての文学活動は政治的な意図もあるとし、漢王室を滅ぼす基盤にもなったとしています!

さいともくん

警察官は何進・董卓時代にやってましたよね!

あんにーん

武芸にも優れていたようです!

せんにーん

さらには酒の醸造法も考案しただとか!

さいともくん

そしてたくさんの夫人と妾、子沢山!

こーめーくん

あとは医者になるしかない!?

前回の記事を参照!

あんにーん

万能の天才はここにもいたのですね!

さいともくん

こんなすごい人、徳がないわけがない!

コーエーテクモゲームス 真三國無双8 曹操 公式より
コーエーテクモゲームス 三國志11より

ピックアップ人物伝 徐晃

コーエーテクモゲームス 三國志14 徐晃 公式より

『三国志』魏志「張楽于張徐伝」からのピックアップ最後の武将の紹介になる徐晃について見ていきます。
wikiから彼の軌跡を追って見ます!

李傕と郭汜の対立で長安が荒廃すると楊奉に献帝を洛陽に戻るよう進言。
洛陽に戻ると次は韓暹と董承が対立、曹操への帰順を進言。しかし楊奉の心変わりで曹操と対立したが、梁で楊奉を討伐。徐晃は曹操に帰順する。

徐晃の軌跡

  • 198年(建安3年) 呂布討伐に従う。
  • 199年(建安4年) 曹操に従い、劉備を破る。
  • 200年(建安5年) 官渡の戦いに参加。
    白馬で関羽、張遼と共に顔良を破り、延津では荀攸の計で文醜を破る。
    曹洪とともに族を討伐。袁紹との戦いが膠着すると荀攸の進言で敵の輸送部隊を攻撃、最大の戦果として昇進。
  • 204年(建安9年)曹操が鄴わ包囲し破ると易陽の韓範を攻めるよう命令されるが、矢文を送り降伏させる。
  • 205年(建安10年) 南皮の袁譚を討伐。平原の族を討伐。
  • 207年(建安12年) 曹操の蹋頓(烏桓)討伐に参加。
  • 208年(建安13年) 荊州討伐に従軍。別軍を指揮して族を征伐。
  • 210年(建安15年) 夏侯淵指揮の下、太原の反乱を征伐。
  • 211年(建安16年) 韓遂・馬超との戦いでは別働隊で黄河を渡り、敵の背後に陣地を作る策を提案、これが成功して潼関の戦いで韓遂・馬超軍を破る。また異民族も征伐し、安定で曹操と落ち合う。
  • 212年(建安17年) 夏侯淵とともに鄜と夏陽の反乱の残党を討伐。梁興も討伐。
  • 215年(建安20年) 漢中の張魯討伐にも参加。氐族を討伐し降伏させる。
    漢中平定後も夏侯淵・張郃とともに残存し、劉備と対抗する。
  • 219年(建安24年)夏侯淵が戦死。曹操が親征するも漢中は劉備に奪われる。
    曹操の命令で荊州へ向かい曹仁を救援するため宛に駐屯。
    関羽と対峙するも徐晃のあずかる兵は新参者が多く戦うのも難しい状況で河の氾濫などもありより劣勢にたたされる。

ここで徐晃は単独では進軍せず、さらなる援軍を待った。
水害などから起こった族と対峙し塹壕を掘り敵の背後を絶つと屯営を焼き払い撤退する。
さらに援軍が増援して、関羽を打ち破る。

後、呉との戦いで関羽は捕虜となり処刑される。

魏が放棄していた襄陽を呉が占拠していたが、曹仁と徐晃が奪還する。

✔227年 病死。

さいともくん

楽進リンクの時にも同じことを申し上げましたが、魏の戦いの歴史そのものですね!

徐晃のエピソード

徐晃は武功を挙げても奢る素振りは見せず、常に「昔の人はよく明君に出会えぬことを嘆いたものだが、わしは幸運にもその明君にお会いすることができた。だから、功績を挙げてこの幸運に答えなければならぬ。個人の功名など何程のこともない」と言い、最後まで私的な交際をしなかった。

徐晃 wikiより
こーめーくん

日本の侍にもなかなかここまでの人物はいないのではないか?

「張楽于張徐伝」これだけ有能な武将を集めた曹操はやはり天下取るだけの大人物というのを思い知らされます!

コーエーテクモゲームス 真三國無双8  徐晃 公式より

トピック 曹丕の性格の悪さ

コーエーテクモゲームス 真三國無双8 公式より

ここでは宦官や董卓の専横、それに伴う各地の反乱によって末期状態にあった後漢王朝を巧みに利用して大きな覇権を握った曹操。

そんな曹操が築き上げた魏。
魏政権下において曹操と後漢との政争はこれまで幾度となくありましたが、魏の後継者争いによる政争により勝ち抜いた曹丕について意地汚く触れてみたいと思います。

さいともくん

魏の人物は正史と演義、違う描かれ方が当たり前ですが、曹丕はそのままといった印象ですね!

せんにーん

ちなみに!

一概に2代目がダメというわけではないですが、2代目の悪行や能無しは目立つ気がします。
しかし、馬騰の子 馬超孫堅の子 孫策と孫権。この2親子を見ても2代目が決してダメでない証明になるでしょう。

曹操の子にも曹昂曹沖、曹植、曹彰と優秀な子もいる。

もちろん曹丕も文学面での功績は後世に伝わっている。

『三国志』撰者の陳寿においても

文学の資質には天稟といえる趣があり、博聞強記の学識と技芸の才能を兼備していた。

曹丕 wikiより

と評価はしている。

しかしながら、曹丕の最大の魅力は性格の悪さではないでしょうか?
歴史ある後漢から禅譲させ、皇帝にまでなりおせたひとともあろう者が、部下に対しても女性に対しても打算も何もない感情だけのいじめをしています。

さいともくん

wikiからピックアップします!

身内にも厳しく、曹植ら兄弟を僻地に遠ざけ、権力を削ぐため転封を繰り返したことは有名。

コーエーテクモゲームス 三國志11 より

樊城の戦いで関羽の捕虜となった于禁が魏に帰還すると、曹丕は曹操の陵への墓参りを勧め、それに従うと龐徳が憤怒して拒む姿、于禁が降伏するさまの絵が掲げられていた。これを見た于禁は病に倒れ死去し、 曹丕は于禁に厲侯の諡を与え、于禁は死後までも嘲られた 。

コーエーテクモゲームス 三國志11 より
さいともくん

生き延びて英雄になる場合もあるが、于禁の場合は別でしたね!

于禁の次は曹洪

宗室であり功臣で数々の戦で父の曹操と戦ってきた曹洪に対して、借財を頼んで断られた恨みから、なにがしらかの罪で殺そうとした。

群臣も曹真も助けようとしたがかなわず、曹丕の生母の取り成しで死罪は免れたが、所領と爵位は削られる。

コーエーテクモゲームス 三國志11 より
せんにーん

権力の乱用っすか?

曹丕が太子の頃、夫人の弟が罪を犯す鮑勛という人物が裁いたが曹丕は罪を許してもらおうとしたが拒否され、以降曹丕は鮑勛を恨む。
曹丕が即位しても鮑勛との間になにかとあり、ますます煙たがった。
このため鮑勛を左遷する。
とあることで鮑勛は捕まり、曹丕は名臣たちの弁護も聞かず私怨で処刑してしまう。
しかしながら鮑勛の死の20日後に曹丕は病死する。

甄氏(しんし)は曹丕の寵愛を受けて曹叡(後の明帝)と娘(早世)を生んだ。しかし曹丕の寵愛は薄れて他の貴人に移っていた。
さらに献帝の二人の娘も入内したこともあり、ますます悲しみ嘆くと曹丕に対し恨み言を述べる。
曹丕はこれに対して怒りにふれ、甄夫人に死を賜る。
しかしのちに曹丕は甄夫人を殺したことを大変後悔する。

さいともくん

皇帝あるある話ですね!

母の喪中の曹休を大変心配し曹丕は侍中に喪服を奪わせて曹休に飲酒食肉を無理強いする。
曹休はますます憔悴する。

さいともくん

余計なことすな!

コーエーテクモゲームス 三國志11 より

曹仁と関羽の樊城の戦いにおいて曹仁の救援部隊の一員として曹操は息子の曹植を呼び出し、曹植が出発しようとしたところ、曹丕が酒を持ってきてむりやり飲ませて酔わせて、曹操の命令を受けなくしてしまう。

王忠は 李傕の長安の混乱で飢えに苦しみ人肉を食したことがあった。
のちに曹操・王忠らと外出の折、王忠の鞍に骨(どくろ・しゃれこうべ)を括り付けさせた。王忠を笑いものにする。

丁儀の文才に曹操は高く評価して、曹昂の同母妹を嫁がせようとしたが曹丕は丁儀の容姿を問題視して取りやめになる。
しかし曹操はやはり丁儀の有能さがわかると再度娘を嫁がせるべきだったとおおいに後悔する。
( 夏侯楙は関中にいた頃、多くの娼妓を囲っていたため、妻の清河長公主とは不仲となっている )
このような事情から丁儀は曹植を後継に推した。
220年後継者争いに勝利した曹丕は報復人事をおこす。丁儀が殺されただけでなく一族もすべて殺される。

コーエーテクモゲームス 三國志11 より

曹操は後継問題で悩んでいた時、楊俊に意見を求めたが、どちらか一方に肩入れしなかったが、がしかし 「敢えて言えば曹植さまの方が立派です」 と答え、これが曹丕の耳に入りずっと根に持つ。
南陽太守だった楊俊は宛の市場が繁盛していないという理由で曹丕に収監されてしまう。
王象・司馬懿・荀緯らは血が出るまで頭を床に叩きつけて命乞いをしても許されず、最後には自殺してしまう。

さいともくん

これだけ一連の私怨があると司馬懿に反逆する気がなくても反逆の芽が出てしまいますね。

曹丕は勇猛で弟曹彰を憎んでいた。母の卞太后の部屋で碁を打ちナツメを食べるおり、巧みに計り曹彰を毒殺する。次に曹植を殺そうとするが卞太后
「おまえはもう私の任城王を殺した。この上、私の東阿王までも殺すことはまかりならぬ」『世説新語』

コーエーテクモゲームス 三國志11 より
せんにーん

血塗られておる・・・

夏侯尚の正妻は曹真の妹だったが、若い愛妾が気に入り、正妻をないがしろにする。
曹丕はこれを聞いてその愛妾を暗殺する。
愛妾を亡くした夏侯尚は精神を病んでしまう。
埋葬した愛妾の墓を掘り起こすまでする。
曹丕は夏侯尚と会うとその憔悴っぷりに驚き反省し、厚遇するも夏侯尚は後を追うように亡くなる。

コーエーテクモゲームス 三國志11 より

曹操が崩ずると後継者で子である曹丕は曹操の寵姫たちみなを自分のものとしてはべらす。
母が曹丕の病気の時見舞いに行くと宿直の侍女はみな夫である曹操の寵愛した者たちだった。
嘆息した母は「犬やネズミでもお前の食べかすは食らうまい。死ぬのは当然でしょう」と言った
曹丕が死んでも母は泣くこともなかったという。

著:横山 光輝
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さいともくん

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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この記事を書いた人

東京都下在住のフリーランス。アコギ初心者練習に余念のない元ベーシストバンドマン。ピアノの音すき。つまりは音楽が好きです。
本業の仕事では、ほぼ毎日運転しつつも十年以上無事故無違反のガチゴールド安全運転者。
禁煙歴2年になります。
当ブログの『さいともブログ』ではイヤホンを中心としたガジェット、はたまた横山光輝「三国志」についてのブログとなっております。

ahamo

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