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【張飛の戦上手 短気だけどおバカではなかった!】三国志 横山光輝 38 張飛の智略 

張飛の智略
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横山光輝 三国志 38 張飛の智略  蜀をもっとも苦しめた名将について

目次

はじめに

さいともくん

本の内容については漫画を読めばいいと思うので、ここでの記事は補足となる、人物や物事を取り上げて漫画を少しでも楽しく読めるようにするのが本記事の目的とします!
よろしくお願いします!

こーめーくん

よろしくお願いします!

せんにーん

前回の記事はこちら!

あらすじ

曹操の魏に対する反乱は鎮圧される。
これも後漢王朝を憂う忠臣たちの反乱であった。
このことからも後漢がなくなる危機感を曹操に対して抱いているのかが窺える。
そして曹洪と張郃、張飛と魏延、黄忠の戦い。
この機に乗じていよいよ孔明による漢中侵攻が始まる!

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キーワード 張飛の戦上手 酒に飲まれて短気だけどおバカではない!

張飛
コーエーテクモゲームス 三國志14 より
さいともくん

この最初の記事、横山光輝「三国志」で張飛について取り上げましたが、張飛について改めて言及させていただきます!

こーめーくん

勇猛果敢 猪突猛進 豪放磊落 とにかく強い!

さいともくん

この物語の主人公のひとりで張飛の活躍は強すぎて心地よい感さえあります!

個人的にではありますが、この物語をはじめから読んでいて感じることは張飛がいなければこの物語は無かったのではないかということ。

劉備と関羽の魅力を最大限に際立たせるのはこの張飛のキャラによるところが多い。

とにかく率直で思ったことは言わなければ気が済まない。
頭にきた人間はやっつける!
酒に飲まれて大失敗する。

あんにーん

では実際はどうだったんでしょうね?

さいともくん

厳顔との対決のときの礼儀、長坂橋の戦いでの曹操軍の足止め作戦。
単なる猪武者ではない描き方もあります。

せんにーん

では張飛の戦歴はどんなものだったんですかね?

さいともくん

簡単にwikiより見てみたいと思います!

張飛の戦歴

188年 劉備の黄巾の乱に対する義勇軍に関羽とともに参加。劉備の身辺警護に務める。

劉備が 公孫瓚に採り立てられて平原郡の相となると、関羽と共に別部司馬に任じられ、それぞれが一軍の指揮を執る将となる。

196年 徐州にて劉備が袁術と戦ってる最中、下邳の守りを任される。しかし曹豹と対立して曹豹は呂布のところへ寝返り張飛は敗北。

劉備と呂布はいったん和睦するがふたたび対立。劉備は曹操に身を寄せる。
曹操の呂布討伐に劉備と参加し活躍。
活躍を認められ、中郎将に任命される。

208年 曹操の荊州討伐により劉備軍は敗走、張飛は20騎ほどで殿軍をつとめ、みごとに川に拠って橋を落とし曹操軍の侵攻を遅らせる。(長坂橋の戦い)

赤壁の戦い後は平定した荊州の南群をみることになる。

211年 劉備の入蜀。212年諸葛亮・趙雲・劉封らとともに援軍として参加。
厳顔との戦い勝利する。

さいともくん

厳顔についての記事はこちらです!

張飛は劉璋軍との全ての戦いで勝利
益州奪取の功績を評価。

諸葛亮・法正・関羽と同等に金五百斤・銀千斤・五千万両・綿千匹の褒賞を与えた。張飛は巴西太守に任じられた。

張飛 wikiより

215年 張郃は巴東、巴西に攻め込みその住民を漢中に移住させた。その後さらに渠宕・蒙頭・蕩石に軍を進めたところ張飛に拒まれ、張飛は、張郃の軍と50日あまり対峙した後、精鋭の1万人ほどを率い山道の隘路を利用し、迎え撃つ作戦を立てた。張郃は狭い山道の中で軍が前後で間延びしたために各個撃破され、たった数十人の部下と共に脱出する羽目になった。張飛は張郃の軍を撃退することに成功し、これにより巴の地は安寧を取り戻した。

張飛 wikiより
あんにーん

ここが今回の物語と同じところですね!

建安22年(217年)、張飛は劉備の漢中攻略戦に従軍し、下弁方面での作戦に馬超・呉蘭らと共に参加したが、曹洪・曹休らに阻まれ、目立った戦果を挙げることなく撤退した

張飛 wikiより

219年 劉備が漢中王になると右将軍に任命される。

章武元年(221年)、劉備が即位し蜀(蜀漢)を建国すると、張飛は車騎将軍兼司隷校尉に任命され、西郷侯に昇進した。

張飛 wikiより

同年 呉との戦いの準備中に恨みを抱かれていた部下に殺される。

コーエーテクモゲームス 三國志11 より

確かに張飛は暴虐な面が記されていますが、決して知力30の戦い方はしてるようには見えないし、劉備に対する忠誠心は礼を感じます。

あんにーん

作者が違えば、また違った張飛像を描けたのではないでしょうか?

さいともくん

ただし部下いじめはひどかったのかな?

ピックアップ人物伝 張郃

張郃
コーエーテクモゲームス 三國志14 公式より

前回の楽進 李典に続いて魏の名将、張郃である。

さいともくん

前回の記事はこちら!

あんにーん

横山三国志のイメージでは、元袁紹の武将で毎度のことながら劉備たちのやられ役のイメージではありますが、正史の方はどうなのでしょうか?

またここでの張郃は副将としてつねに大将に反対意見を具申するのだが、ことごとく跳ね除けられている。

張郃が演義において、なぜこのような立場の役回りになったか?

さいともくん

毎度のことながらwikiから探ります!

まず

『三国志』魏志「張楽于張徐伝」に伝がある。

せんにーん

張遼 楽進 于禁 張郃 徐晃 と名だたる名将に名を連ねています!

あんにーん

前回記事の楽進曹操軍の歴史そのものでしたね!

まずは韓馥に仕えるが後、袁紹に仕える。

官渡の戦いの前、沮授や田豊と同じく曹操と直接対決することの不利を説いたが、袁紹には受け容れられなかった(『漢晋春秋』)。

張郃 wikiより
こーめーくん

まあ確かに兵力差は確かにありましたからね!

さいともくん

くわしくは官渡の戦いの記事を!

上記の記事でも取り上げましたが、袁紹は張郃が反対した作戦を採用し、はたまた張郃が具申した作戦も採用するという優柔不断な行動に出て、見事に失敗して潰走することとなる。

あんにーん

袁紹 わけわかめ!

ここで都督の郭図に

「張郃は敗北を喜び、不遜な言葉を吐いている」

と讒言(ざんげん)され、高覧とともに曹操へ降る。

これに喜んだ曹操は

「伍子胥は自分が誤った君主に仕えたことに気がつくのが遅かったために、不幸な最期を遂げた。おぬしがわしに降伏したのは微子啓が殷を裏切って周に仕え、韓信が項羽の下を去って劉邦に仕えたような真っ当な行動である

張郃  wikiより

と称賛を送る。

曹操がこのようなこれ以上ない称賛を言うということは、それだけ張郃の評価が高かったことが伺えます。

コーエーテクモゲームス 真三国無双8  より

曹操に仕えてからの経歴

204 鄴の攻略 渤海の袁譚攻撃 楽進と雍奴を打ち破る。
207 烏桓戦では張遼と先鋒を務める。また別働隊の指揮を執り管承を討伐。
208 荊州征伐に参加
209 張遼指揮下の元、陳蘭・梅成を撃破。
211 馬超・韓遂の戦いにも従軍
212 夏侯淵に従い梁興などを討つ。
214 夏侯淵の指揮のもと先鋒となり、馬超を敗走させ羌族を降伏させる。
215 漢中での張魯征伐では朱霊とともに氐族の王を討伐。張魯征伐後、夏侯淵とともに漢中の守備につき、蜀の劉備に備えた。


この後、張飛に敗れるが住民を移住させた功績で出世する。

この巻の後の軌跡

219 定軍山の戦いで劉備と対峙。その後苦戦。夏侯淵は張郃のために救援に赴くが、その夏侯淵が戦死する。

せんにーん

ここは演義と違いますね!

夏侯淵亡き後、張郃は臨時の都督となる。
結局、長安まで来ていた曹操だが、劉備が高い山を抑えていたため衝突できず、曹操軍は漢中から撤退した。

張郃は長安と漢中の中途にある陳倉にて曹真とともに駐屯。以後長く戦線をともにする。

220 胡と羌を討伐。また孫権支配下の江陵を攻めて孫盛を破る。

この後も諸葛孔明の北伐において、何度も対峙することとなる。

評価

張郃は、蜀で最も恐れられた魏将として記述されている。劉備が警戒する発言をした魏将が、関羽を撃退した楽進と、自身が対峙した張郃であり、劉備の死後も蜀の将兵は皆、張郃を恐れたとされる。

胡三省は、張郃は味方のはずの司馬懿からも恐れられた名将であったとし、陳舜臣や渡邉義浩も同じ評価を下している。

さいともくん

こうして見てみると演義では見られない魏の名将を確認できるのはまた新たな三国志の魅力に気付けて嬉しく思います!

コーエーテクモゲームス 三國志11

トピック 管輅

コーエーテクモゲームス 三國志11 より

前回の記事で取り上げた左慈に続き、三国志演義のファンタジー部門といってもいい、占い師の管輅について。

管輅は幼少期から星を見るのが好きで、成人してから易経などの勉学に励んだ。そのため、占師としての不思議な能力が身についたと言われている。だが、素性の怪しい者と平気で付き合う一面があったことから、彼を慕う人物は少なかったものの、いつも素直な心で人に接したので、決して嫌われていたわけではなかったという。また、犯罪が起こると犯人を言い当てたため、やがて彼の回りから犯罪が絶えたという。さらに射覆(器の中に物を入れて中身を当てさせる遊び)をすると、ほとんど間違いなく中身を言い当てた。

人の誕生日や寿命を占いによって言い当てることができた。劉奉林という者の妻の病が重くなり、正月頃には棺や葬送の道具も一式買い揃えられたが、管輅は占って「八月辛卯の日の日中の時刻がご寿命です」と言った。劉奉林がこれを信じず、また妻の病も快方に向かったが、秋になって病が再発し、結局その妻は管輅の言った時刻に亡くなった。また鍾毓の元を管輅が訪れた時、鍾毓が自分の誕生日を占わせると、管輅はぴたりと言い当て些かな狂いも生じさせなかった。このため鍾毓は大いに驚き、寿命を占わせることをしないようにさせたという。

管輅 wikiより
さいともくん

ここは正史「三国志」に記載があるようですね!

また演義の方では横山三国志同様

小説『三国志演義』では凄腕の占師として登場し、19歳で寿命が尽きる男(後述)・魯粛の死・曹操の支配下である許昌で金禕らの反乱が起きること・劉備の漢中侵攻・夏侯淵の戦死、を予言する。

あんにーん

こういった超人が登場するのも三国志の魅力ですね!

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張飛の智略

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この記事を書いた人

東京都下在住のフリーランス。アコギ初心者練習に余念のない元ベーシストバンドマン。ピアノの音すき。つまりは音楽が好きです。
本業の仕事では、ほぼ毎日運転しつつも十年以上無事故無違反のガチゴールド安全運転者。
禁煙歴2年になります。
当ブログの『さいともブログ』ではイヤホンを中心としたガジェット、はたまた横山光輝「三国志」についてのブログとなっております。

ahamo

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