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三国志 横山光輝 36 漢中侵攻軍 【名将龐徳の活躍!】

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横山光輝 三国志 36 漢中侵攻軍

目次

はじめに

さいともくん

本の内容については漫画を読めばいいと思うので、ここでの記事は補足となる、人物や物事を取り上げて漫画を少しでも楽しく読めるようにするのが本記事の目的とします!
よろしくお願いします!

こーめーくん

よろしくお願いします!

せんにーん

前回の記事はこちら!

あらすじ

劉備と孫権の荊州返還をめぐる駆け引きと荊州を守る関羽の力技。
一方で曹操の権力は肥大化し、献帝の権威は下がる一方。
そして謀反の容疑で皇后と臣下の伏完、穆順、一族もろとも虐殺にされる。
そして曹操は劉備が治める蜀を警戒し、西征軍を起こし、まず漢中の張魯を攻める。
張魯には馬超とやってきた龐徳が残っていた。

キーワード 劉備と関羽の関係

蜀を獲り、孔明の思い描く天下三分の計が現実味を帯びてきたが、ここで黙っていないのが、曹操であり、同盟関係!?である孫権

ここで孫権は当初の約束(荊州を返す)を守らせようと孔明の兄諸葛瑾を仕い、劉備と交渉させる。
劉備は長沙 零陵 桂陽の3群を返すべく手筈を整えるが、荊州の守りを任されている関羽は拒否する
結局これは、孔明の口実策略なのだが、漢中をとったら関羽に与えるので、それまで待ってほしいということなのだが、これから物語を追っていく上で劉備と関羽の関係は単なる義兄弟ではなく、関羽は関羽独自の勢力があって、義兄弟ながらも協力し合っているという考えが妥当なのではという考察になる。

以前の巻で馬騰と韓遂の勢力があり、たびたび抗争を繰り広げるが、異民族との争いや中央政府との抗争から協力し合っている関係と同じなのではないか?

さいともくん

馬超・馬騰、韓遂に関する記事はこちらです!

こちらも義兄弟ということになっている。

勢力というより分隊化

とここまで考察したものの、wikiを覗いても確信に迫る資料はなかったので、曹操陣営のような分隊化という見立てが妥当に思える。
曹操の場合はやはり張遼だろう。

さいともくん

張遼についての詳しい記事はこちらです!

せんにーん

関羽はたしかに能力はあるけど、自分の能力におごりに近い自信がプライドとなっているところがありますね!

あんにーん

五虎将軍での黄忠との一件でもうかがえます!

こーめーくん

しかしまあ第2勢力を築いてることは間違いない所ですね!

ピックアップ人物伝 龐徳

コーエーテクモゲームス 三國志14 より
さいともくん

名将ここにあり!といった印象の龐徳ですが、wikiから正史における龐徳を見ていきます!

関中軍閥の馬騰・馬超父子の配下で、曹操に敗れた馬超が漢中の張魯に身を寄せた時もこれに従ったが、そこで馬超と袂を分かち曹操に仕えた。曹操配下として活動した期間は短かったが、その忠烈な最期を称えられ、史書に名を残す事となった。

龐徳  wikiより

またここでの登場以前の話として

202年、曹操が袁譚・袁尚を黎陽に討った際、袁譚らは南匈奴単于の呼廚泉に曹操を裏切らせ、郭援と高幹に数万の軍勢で侵攻させた。この時、馬騰も曹操を裏切って袁譚らに内通しようとしたが、鍾繇・張既・傅幹らの説得を受け立ち戻った。

馬騰は馬超と龐徳に兵一万人余りを預け、鍾繇の援軍として派遣し、高幹と郭援を平陽で防がせた。乱戦の中で馬超が負傷したが、龐徳は先鋒となって敵軍を大破し、郭援を自らの手で討ち取った。帰陣した龐徳が弓袋から郭援の首級を取り出すと、郭援の叔父であった鍾繇が号泣したので、龐徳は謝罪した。鍾繇は「郭援は我が甥とはいえ国賊です。貴公が謝る必要はありません」と答えたという(『魏略』)。この功績により中郎将に昇進し、都亭侯に封ぜられた。

龐徳  wikiより
あんにーん

このような動きは演義では見ることができない!

こーめーくん

曹操にとって重要な、そして三国志にとっても重要なところが演義にはありませんからね

せんにーん

しかし鍾繇という人物もなかなかな人物ですね

そして

215年、曹操が漢中郡を平定した時、張魯と共に曹操に降伏し、その家臣となった。曹操は龐徳の勇猛さを知っていたため、立義将軍に任命して関門亭侯に封じ、所領数を300戸とした。

龐徳  wikiより

この後の活躍はぜひとも横山光輝『三国志』を読み進めていただきたいのですが、三国志には前回の張任同様、忠義に重んじ日本の侍のごとく活躍する人物が多く登場する。

儒教のイデオロギーはとやかくいわれがちだが、こういった忠義というところは称賛したい。

また三国志が人々を魅了してやまないのはこういった忠義にあるのではないのか?

コーエーテクモゲームス 三國志11 より

トピック 漢中

漢中郡(かんちゅう-ぐん)は、古代中国に存在した郡。後に漢中(かんちゅう)は、郡の役所が置かれた南鄭(なんてい、現在の陝西省漢中市)を中心とした一帯の名称となる。劉邦が興した漢王朝や、現在の「漢民族」「漢字」などの名称の由来となる地名でもある。

漢中 wikiより
さいともくん

の由来とは知りませんでした!

せんにーん

のちに劉備が漢中王になるのも納得!

秦が滅んだ後は、劉邦は本来封じられるべき関中では無く、この漢中の地に封じられた(ただし当時、漢中を関中の一部に含む説もあった)。この漢中の中で国士無双韓信を見出し、天下統一への足がかりとした。そのため劉邦は「漢王」(「漢中王」の略)を名乗り、帝位に就くと国号を漢とした。

漢中 wikiより

漢中での抗争は曹操と張魯、そしてのちの曹操と劉備との抗争になるが、これ以降は大きな抗争は見られず、劉備陣営がうまく治めたことが伺える。

さいともくん

漢中の地を収めていた張魯や道教(五斗米道)に関する記事はこちら!

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この記事を書いた人

東京都下在住のフリーランス。アコギ初心者練習に余念のない元ベーシストバンドマン。ピアノの音すき。つまりは音楽が好きです。
本業の仕事では、ほぼ毎日運転しつつも十年以上無事故無違反のガチゴールド安全運転者。
禁煙歴2年になります。
当ブログの『さいともブログ』ではイヤホンを中心としたガジェット、はたまた横山光輝「三国志」についてのブログとなっております。

ahamo

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